行きつけのバーが二軒あるのだが、その内の一軒でお世話になっていた店員さんが、来週居なくなってしまう。
故郷の北海道に帰るそうだ。

 

 

経緯の色々も知っているが、そこは割愛する。
何にせよ、親睦を深めた人が、近くから去っていく事実は非常に寂しい。
「年一で関東にも遊びに来るよ」と言ってはいたものの、普段の日常の中で会うことは、今後存在しないのだ。
「さよならだけが人生だ」
と、井伏鱒二が誰かの漢詩を意訳していたが、若僧の僕が悟るには、まだまだ生きてきた年数が足りないらしい。
そう言えば、その店員さんも僕のことを「クソガキだなあ」とよく言っていた。

 

 

そこで過去を振り返り、思い出を書き綴りたい……なんて考えたのだが、これと言った記憶が無い。
と言うのも忘れてしまった訳ではなく、ある意味で生活の一部と化していたからだろう。
時にはバーで音楽やアイドルについての話をしたり、時には居酒屋で酔っ払って叱られたり、時にはカラオケで朝方までケミストリーを歌ったり、他愛もない内容ばかりだ。
二人で朝方まで管を巻くことも多かったし、誕生日にはお祝いをしてくれたこともあった。
撃ち込まれた数多のテキーラショットは、ガンマンであれば百発百中と称されるほど、僕の肝臓に弾痕を残している。
やはりと言うか何と言うか、飲み屋の店員との絡みにアルコールは切っても切り離せないものなんだな、と何だかクスクス笑ってしまった。

 

 

離れる直前に盃を交わせないことが心残りではあるが、北の大地でも懐古談を肴に楽しく飲んでいてほしいものである。
そうそう、先に書いた漢詩のタイトルが『勧酒』だったと言うことに、今更になって気付いた。
さすが、酒と相即不離なだけある。

子ども

子どもが苦手だ。
苦手と言うのは、嫌いを濁したニュアンスではなく、対応が不得手と言う意味合いだ。
好きか嫌いかで言われれば、二つ返事で好きと答えられる。
あと、変態のそれではない。

 

 

正確には、敬語を使うべき相手のお子さんと触れ合えない。
何か失礼があると思うと尻込みしてしまい、子ども応対特有のなりふり構わぬ振る舞いが出来ないのだ。
それに加え、観月ありさよろしくトゥーシャイシャイボーイな僕は、周りからの目を恥じてしまう。
変顔なんて以ての外だ。
口元をぷくうと膨らませるぐらいが関の山である。
ちなみに言うと、この"やや変顔やってます感"が一番ダサいことも理解はしている。
理解はしているのにやってしまうのだから、より小っ恥ずかしい。

 

 

しかしながら、そんな気持ちもどこ吹く風で、子どもたちは無邪気に近付いてくる。
多分、僕の童顔な見た目にシンパシーを感じて、何となく好いてくれるのだろう。
理由はともあれ、顔を綻ばせながら寄ってくるその様子は、本当に可愛いらしい。
だからこそ、好意も無碍に出来ず、余計に困惑してしまう。
おいおい、親御さん(敬語対象)からせっかく貰ったチロルチョコを僕なんかにわざわざプレゼントしないでくれ!
気持ちは嬉しい!
嬉しいけど、「ありがとう」と言うべきか「ありがとうございます」と言うべきか悩みあぐねてしまう!
ガキンチョ諸君、このダサい大人をイジメないでくれ!

 

 

とは言え、それを口や態度に出すことはないため、先述した案件は変わらず起きてしまう。
先日も、僕が謙って対応すべき相手のお子さんが、こちらの足元に駆け寄り、よく分からないシールを差し出してきた。
当然、僕は相変わらずのアタフタを見せた。
「あれ?お礼は同じ目線に立つべきなのか?」
「シールが大切な物だったら返した方がいいよな?」
いつもであれば、デュフデュフしながら親御さんを見て、何とか解決へと持っていくのだが、その日は違った。
そんな逡巡している僕の様子を察してか、そのお子さんが一言添えてきたのだ。
「気遣わなくていいよ」
多分、親御さんから聞いて学んだ言葉をすぐ使いたくなったのだろう。

 

 

ただ、受け売りとは言え、その切り返しには驚かされた。
結局、おどおどしている大人よりも堂々としている子どもの方がよっぽど精神的に大人なのだ。
そう考えると、僕が彼ら彼女らに言うべき台詞は、敬語で間違い無いのかもしれない。
「ありがとうございます」だ。

千%

僕ら世代のジャパニーズヒップホップフリークで、昨日発表されたKICK THE CAN CREW復活のニュースを耳にし、胸が高ぶらなかった人間はまず居ないだろう。
御多分に洩れず、僕もその一人だ。
新しく配信されたMVの所々で、昔の彼らの楽曲フレーズの引用が見えたり、ソロ活動時と比べて各自の特徴が顕著だったりする部分が、また目頭を熱くさせる。
解散や活動休止から十数年経て再開するバンドは数あれど、その両方のタイミングをファンで居られたグループは初めてかもしれない。

 

 

僕が彼らを初めて知ったキッカケは、『SMAP×SMAP』だったと思う。
番組最後のライブコーナー共演を見て、「あれ?この人たちってアンコ the KANCREWの元ネタなんじゃね……?」と気付かされたのが最初だ。
(アンコ the KANCREWとは、当時の小中学生から絶大な人気を博したバラエティ『学校へ行こう!』の1コーナー"B-RAP HIGH SCHOOL"内のパロディラップグループである)
そんな前情報もあり、僕にとってラップは笑いの対象と言うイメージだったのだが、スタジオ内で彼らが歌う様子によって、軽薄な勘違いがいとも容易く覆された。
それ以外でも『NHK紅白歌合戦』や『HEY! HEY! HEY!』を筆頭にTV番組で大手を振って活躍する様子は、頭の悪いボンクラ小学生に衝撃を与える十分な理由となった。
特に覚えているのが、浜崎あゆみ冠番組ayu ready?』だ。
そこにKICK THE CAN CREWがゲスト出演した時は、なぜかクイズをめちゃくちゃ出題される回だったのだが、我らがヒーローKREVAが正解をバンバン叩き出しており、子どもながらに「こいつ、すげー!」と身震いしたものだった。
HIPHOP特有の何となく悪そうな雰囲気だけでなく、そのスマート且つアカデミックな立ち振る舞いは、僕の記憶に深く刻み込まれることとなった。

 

 

と言っても、それはあくまで発端であり、曲も「なんか格好良いな〜」と聴いてはいたものの、どっぷりとハマった訳では無かった。
例えるなら、まだ膝まで浸かった程度である。
それが肩まで、いや、頭まで浸かるようになったのは、中学生の頃だった。
別のグループに魅了され、ラップと言うジャンルに傾倒し始めた僕は、改めてKICK THE CAN CREWを聴き直したのだ。
そこで、やっと気付く。
「この人たち、フレーズの語尾が似たような感じになってる……」
ライム(韻)を初めて意識した瞬間であった。
ayu ready?』で受けた印象は、間違っていなかったのだ!
身体中に電流の走った僕は、HIPHOPカルチャー直伝のディグ精神を遺憾なく発揮した。
クルーでの作品は勿論のこと、客演やソロ、プロデュース作品まで掘って掘って掘りまくった。
未だにKICK THE CAN CREW好きの知り合いの前では『よってこい feat. NG HEAD & RYO the SKYWALKER』の音源を所持していることを自慢してしまう。
バカだね。

 

 

そんなこんなで、KICK THE CAN CREWは僕が愛する音楽グループの1つとなったのであった。
勿論、ライム以外にもリリックのテーマや日本人らしいフロー、心地良いビートなどと魅力は多く存在する。
全て引っくるめてファンなのだ。
ああ!アルバム発売が待ち切れない!

 

 

ただ、同時に彼らが残した罪もある、八つ当たりではあるが。
僕は、KICK THE CAN CREWのファーストインパクトが忘れられなかったため、大学時代に髪を金色に染めていた。
何を隠そう初めて見た時のKREVAが金髪で、スーパー格好良かったのだ。
だが、そのダメージが残っているせいか、ただでさえ広い額が年を経るごとにもっと広くなってきている……気がする。
まだ26歳なのに。

 

 

将来的には、KREVAよりRHYMESTER宇多丸師匠の見た目となっているはずだ。
なぜか涙が止まりません。
未だ見えないあのユートピア

ツイッター

ツイッターのツイートを全て消した。
後腐れはさらさら無く、いずれ削除するだろうな、とは常々考えていた。

 

 

確か大学2年生の頃から始めたサービスで、およそ7年も利用している事になる。
就活直前ぐらいは、もはや中毒とも言えるほど没頭しており、それは日常生活の垂れ流しと言わんばかりに言葉を吐露していた。
電脳世界でなくリアルでこれほど呟いている姿を想像すると、相当危ないヤツに見られることは間違いない。
無責任なディスやももクロの実況、男性器や女性器を扱った汚らしいギャグにドラッグネタ、数えればキリが無いゴミ発言をここぞとばかりに流布していたのだ。

 

 

そこまでハマっていた理由は、しょうもない承認欲求や自己顕示欲がマッチしていたから、であろう。
友達の少ない僕は、そこでの星の数やRTの数で誰かに認められている気がしていた。
また、音楽活動を積極的に行なっていたので、丹精込めた作品が、普通は知り合えないような有名な方に届いたり、まったく面識の無い方がファンになってくれるキッカケとなったり健全なSNSとして機能してくれたから、と言う部分もある。

 

 

しかしながら、その使う理由自体も年々影を潜めてきた。
むしろ、赤裸々な公開自体を恥ずべきものとするようになってきたのだ。
僕が残してきた轍を振り返ると、綺麗なタイヤ痕を付けているつもりが、見ようによっては汚い凹凸を残しているだけとも捉えられる。
後ろから同じ道を辿ろうとする人は、「すげえ!」と感じてくれる人だけでなく、「気持ちわりー!」と拒絶する人も居ることに気付いたのだ。
そんなもんよね。

 

 

だから、そんな過去と決別すべく全ツイート削除を実行した次第である。
実生活と同じく、呟きなんてものは残らないからこそ趣きを感じられる。
まあ、それをこのブログに書いているのだから、結局の所の本質は変わらないのだが。

ウンコ味のカレー

一人暮らし歴が今年で9年目を迎える僕はちょくちょく自炊をするのだが、ほんの少しずつ上手くなっているように思える。
包丁捌きはスピードこそ遅いものの理想の形通り切れるぐらいにはなったし、材料を炒め過ぎて焦がすような真似や調味料の入れ過ぎによる大失敗などは避けられるようになった。
これは過保護な実家暮らしの頃と比べれば、大きな飛躍である。
最終的には『クッキングパパ』レベルにまで到達し、未来の嫁と子ども達と「うむ!うまい!」なんて食卓を囲みたい。
まだまだ先の話ではあるが、自分の料理で夢と腹を満たすなんて幸せな話ではないか。
と言っても、基礎練習などはてんで実践しておらず、ちゃんと料理をやっている人間から見たら、下手の横好きも甚だしいと鼻で笑われるだろう。

 

 

そう言えば、大学の頃に付き合っていた彼女にクソみたいなカレーを出したことがあった。
(よく究極の選択にあるウンコ味のカレーとカレー味のウンコのそれでは無い)
当時、僕の中で"カレーは何を入れても美味くなる説"がはっきりと存在しており、その考えと共にトリッキーな調理でイケてるシェフを演出したがる自己顕示欲があったため、災難は引き起こされたのである。

 

 

まず、カレーを煮込む際にお湯では無く、野菜ジュースを代用した。
ヘルシーメニューを気取りたかったのだ。
だが、それだけでは足りないと思った僕は、飲むヨーグルトも混ぜることにした。
程よい酸味と甘みがより味を引き立たせると思ったのだ。
そして具材には、あろう事かパックの筑前煮をブチ込んだのである。
普通のカレーよりユニークな遊び心が欲しかったのだろう。
それらを配合した上でボコボコ煮立った様子は、絵本の魔女がかき混ぜる危ない液体のようであったが、アホな僕は彼女に迷い無く提供した。
それを口に運んだ彼女は、
「カレーをこんなに不味く作れる人初めて!」
とすぐさまトイレに駆け込んで、全て吐き出していた。
そんなゲロマズカレーは結果的に全てトイレに流すこととなったので、よくよく考えれば、先述した内容で否定した排泄物的食品の意味合いとシンクロしているのかもしれない。
あの悶絶した様子は未だに目に焼き付いている。
ははは。

 

 

最近、その事件の被害者である元カノと話す機会がたまたまあり、過去と比較して今は料理が上手くなったと伝えたら、
「あんな毒物を食わすヤツの料理、もう一生食いたくない」
と思い出しギレをされた。
はらわたの煮えくり返った感情は、あの時のクソみたいなカレーのようにボコボコと音を立てていた。

喫煙

胸が苦しい。
と言うのは、恋をしてしまった比喩では無い。
呼吸が辛い、その意味合いでだ。
原因はわかっている。
煙草の吸い過ぎだ。

 

 

昔から身体が弱い事は重々承知していたが、周りの環境もあって高校の頃から煙草を嗜んでいた。
別に不良学生では無いし、ましてや僕ら平成世代は煙草の害についても授業で嫌と言うほど説明されていた。
にも関わらず、宙を舞う煙に憧れを抱き、とうとうこの年齢まで来てしまった。
だって、映画や漫画でもみんなかっこいいんだもん。
ジャン=ポール・ベルモンド然り、ブラッド・ピット然り、次元然り、サンジ然り。
しょうがない、しょうがない。

 

 

しかしながら、そのツケが今になって回ってきている。
日常生活も喘息のような状態でゼーハーゼーハーする羽目になり、大きな声が出ない。
人からも言われるほど通る声をしているので何とか乗り切れているが、いずれは会話をするだけで酸欠になるかもしれない。
実際そんな奴が目の前に居たら笑えないだろう。
まあ、それが煙草を咥えながら倒れるのであれば、ダーティ・ハリーみたいでかっこいいが。
って、かっこよくはねーか。
つーか、ダーティ・ハリーの最期なんて知らんしな。

 

 

とにもかくにも日々の煙草を減らさなければ、死は近い。
ヘビースモーカーでは無いにしろ、1日に吸っている一箱分の本数をせめて半分ぐらいにしないとまずい。
友人から「文化人は漏れなく喫煙者」と言われ薄気味悪い笑みを浮かべていた過去の自分とは決別する時が来たのだ。
徐々にでいいから、改善していこう。

 

 

そんな内容をミッシェル・ガン・エレファントの『スモーキン・ビリー』を聴きながら綴っているのだから、僕はタチが悪い。
こんな守れもしない口約、煙に巻かせてくれよ。

マネー

金が無さ過ぎる。
今月のクレジットカードの引き去りを確認したら、10万強が引き落としされていた。
自分の破綻した計画性にゲンナリする。
社会人にもなって苦学生のような預金残高の数字は、三つ並んだ6よりも不吉な将来を暗示している。

 

 

支払いの内訳を見ると、やむを得ない事柄を除いて、殆どが行きつけのバーで使った金とコンビニで買った飯の料金、つまるところ飲食代に当たる部分だった。
何をそんなに飲んだり食べたりするのだ。
毎日死にそうな生活をしていた学生時代の自分が鼻で笑う。

 

 

思えば昔から金の使い方に頭の悪さが表れていた。
中学一年生の頃、趣味にお金を費やす事こそ後々の知的財産に繋がるのだと考え、何を血迷ったかお小遣いの範疇に収まり切らない『アラジン』のDVDボックスを注文した事がある。
家族から金を借りて支払う事になった僕は、言わずもがな親父からこっぴどく叱られ、その様子を見ていたおばあちゃんは普段以上に顔をシワクチャにして泣いていた。
きっとバカな長男坊の先行きを悲しく思ったのだろう。
だって『アラジン』欲しかったんだもん。
ディズニー好きなんだもん。

 

 

その性格は今も変わらず、金に対して無頓着なままここまで来てしまった。
勝新太郎よろしく宵越しの銭は持たない主義と言うか何と言うか、引き落とした金はほぼほぼ使ってしまう。
いや、それ以上かもしれない。
そこに収まり切らない額をクレジットカードで補うのだから。
悪い言い方をすれば、借金と同じだ。
いずれエスポワールにでも乗せられるのではなかろうか。

 

 

ヒモにでもならない限り、最終的には多重債務でくたばるかもしれない。
金は天下の回り物と言うが、首は回らないようだ。