シュレディンガーのゴキブリ

シュレディンガーの猫」と言う言葉がある。
中二病だったり、利口ぶりたい人が、たまに使う表現だ。
その「シュレディンガーの猫」の内容は、頭の悪い僕は単純解釈として、パラレルワールドの存在と置き換えている。
要は、「箱の中に居る猫は、実際に目で見なければ、生きてるとも言えないし、死んでるとも言えないよ」なんて捉え方だ。
ちゃんと理解してる人、もし間違ってたらすみません。

 

 

で、その「シュレディンガーの猫」だが、僕にとってのそれは "ゴキブリホイホイ" なのだ。
僕含めゴキブリが苦手な人は、かなり多いと思う。
もし、苦手でない人が居たとしても、好きだと言う人はそうそう居ないだろう。
みんな、出来る事なら居ない方が嬉しいはずだ。
そこで、一般家庭で駆除のために使われるのが "ゴキブリホイホイ" である。

 

 

しかしながら、"ゴキブリホイホイ" には問題がある。
"ゴキブリホイホイ" を使うと、ゴキブリが家に居る事実が明らかになってしまうのだ。
"ゴキブリホイホイ" を使わなければ、ゴキブリが家に居る可能性と居ない可能性は半々なのに、使用してヤツらが捕らえられたとすれば、それは存在を証明する事となってしまう。

 

 

「じゃあ "コンバット" にすればいいじゃん」と言う意見もわかる。
しかしながら、"コンバット" を置く=ゴキブリが居る事を前提として暮らす事になる。
先ほど、居るか居ないかの可能性が半々と明記したが、そこは僕も人間なので、居ない方に賭けたい。
そちらにゴキブリペリカを全額ベットしたい。
"コンバット" を置くと言う事は、その願いも否定する事になる。
だって、ゴキブリが "コンバット" でゴソゴソして、巣に運んで、やっと殲滅させられるって事だもんね。
クソが。

 

 

上記の理由で、僕は「シュレディンガーの猫」的な観点から、"ゴキブリホイホイ" や "コンバット" を使いたくない。
自宅で目の前に現れたゴキブリを見て、ふとそう思った。

音信不通

先週ぐらいに、信用していた奴からバックレられた。
「将来、共に成功するために、パートナーになろう」と言う話だったのだが、まだスタートし出したばかりの段階で、この始末だ。
僕は、仕事を辞める事も決まっていて、そいつと同居する予定だったので、非常に困った。
と言うか、現在も困っている。
もしかしたら、実家に帰省する羽目になってしまうかもしれない。
そうなったら嫌だな。

 

 

とりあえず、そのバックレの事実が判明してから、非生産的とは分かっていながらも、どうボコってやろうかだけを考えている。
僕は、喧嘩が強く無いのだが、そいつには腕相撲でも勝っているし、ウェイトも上なので、殴り合いになっても多分勝てるはずだ。
ズルい手を使って、交友関係に手を広げても、おそらく勝てる。
それに、そいつは頭が悪いので、知略でも口喧嘩でも勝てる。
トリッキーな試合運びで、ウンコ早食い合戦になっても、きっと勝てる。
勿論、食った事は無いが、この恨みのパワーなら、絶対に食い切れるであろう。
食い切った後に、そいつにゲボを吐きかけて、何やかんやで『ろくでなしBLUES』の葛西のようにアバラ骨を折ってやる。
ド畜生が!

 

 

しかしながら、そいつの事を完璧に信用はしていなかった。
理由は、普段の立ち回りの姿勢に、卑怯の片鱗が出ていたからだ。
トラブルがあれば、人を盾に使っていたし、それも出来ないようであれば、全て投げ出して逃走するようなタイプだった。
同じ職場の人も異口同音にそう評価しているし、チンケな部分については間違い無いのだろう。
きっと、奴の腐り切った根性は、この先も治らないのだ。

 

 

では、何故そんな奴と手を組もうとしたのか、と問われると悩んでしまう。
何でだろう。
しいて言うなら、僕はバカなので、奴が言った「信頼している」の一言を鵜呑みにしてしまったから、かもしれない。
念には念をと思い、覚悟について再三の確認をしたつもりではあったが、結局のところ不用心だった訳だ。
君子危うきに近寄らず。
危うきに近寄る僕は、君子では無いのだろう。

 

 

過去を振り返れば、何度かパートナーと呼べる人とは出会って来たが、仲間にしても、恋人にしても、バックレと言う事象は経験した事が無かった。
全員、最終的には話し合ったり、伝えた上で、終着点を迎えていた。
当時は腹を立てたりもしたが、今回のような件を考えると、案外みんな良い人たちだったかもしれない。

 

 

さてさて、ここまで恨み辛みを綴ったが、何を言っても、人生はまだ続く。
記したような文句は、もしも再会する事があった際、ブン殴って、吐き捨ててやればいい。
それよりも、これからの事を考えて、実りある準備をしよう。
まずは、ウンコ早食い合戦のウォーミングアップだ。

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ラジオ

昨日深夜、TBSのラジオ番組『おぎやはぎのメガネびいき』内で、生まれて初めて投稿メールを読まれた。
先週から送り出したビギナーとは言え、やはり嬉しいものは嬉しい。

 

 

大学生の頃、帰省したタイミングでたまたま放送されていたNHK『着信御礼!ケータイ大喜利』に、気まぐれで送った回答が採用された事もあったが、ことラジオ番組に関しては、僕がヘビーリスナーなだけあって、声を上げて喜んでしまった。
こんな感動を味わえるなら、もっと早くから投稿しておけば良かった。
善は急げ、だ。

 

 

遡れば、ラジオを聴くようになったのは中学生の頃で、そこから数えると10年以上聴いている事になる。
初めて自発的に聴いたラジオは、正直あまり覚えていない。
確かm-floがパーソナリティーの番組に、HI-DとTWIGYがゲストとして参加した回だった気がする。
そこから、アーティストがメインの番組を聴き出し、『SCHOOL OF LOCK!』『やまだひさしのラジアンリミテッドDX』を経由して、伝説の深夜番組『WANTED!』でダダハマりするようになった。
帯番組である『WANTED!』は、僕の一番好きなアーティストのRHYMESTERが月曜パーソナリティーで、僕の一番好きなお笑いコンビのバナナマンが火曜パーソナリティーと言う最高な構成だった。
しかしながら、この番組が放送される時間は、深夜3時から朝方5時の2時間であったため、当時高校生に上がった僕は、言わずもがな地獄のスケジュールを強いられる羽目になる。
学校から帰って睡眠を取った後に起床、ラジオを聴きながら宿題を済ませて、朝方に再度就寝。
当然、次の日は寝ぼけ眼を擦りながら登校するため、授業中はしょっちゅう夢の中に居た。
そのせいで内申点はウンコみたいに悪く、親から叱られるのが日常茶飯事だった。

 

 

だが、そんな大好物コンテンツも終わりを告げる時が来る。
僕が高校三年生に上がるタイミングで、『WANTED!』は最終回を迎えた。
そして、RHYMESTERバナナマンも喋りの現場を、FMラジオからAMラジオに移したのだ。
それは、とてつもなく衝撃的な出来事だった。
なぜなら、僕の故郷であるド田舎だとAMラジオの電波がこの上なく悪いため、敬愛するパーソナリティーたちの声が届かないからだ。
ちくしょう!
僕は、そんな恵まれざる環境に臍を噛みながら受験勉強し、東京の滑り止め大学にめでたく(?)進学をする事となった。

 

 

上京し、一人暮らしを始めた僕は、そこまでのラジオ欲を発散するかのごとく、ウキウキしながらラジオをつけた。
しかし、そこで気付く。
「あれ?この部屋も聴けねーじゃん!」
そうなのだ。
借りたアパートの一室も、電波がグシャグシャのクソ環境で、AMラジオが聴けなかったのだ。
なので、まだradicoも導入されていないその時期は、涙をせき止めながら、もっぱらPodcastを聴いていた。

 

 

勿論、radico導入後から今現在までは、中学高校の頃と同様に、毎週ラジオを楽しみに聴いている一人のリスナーに戻る。
ラジオの良い所は、炊事洗濯掃除などと言った家事をやりながらも、聴ける所だ。
そう考えると、今の独身の生活環境にとても合っているのだろう。

 

 

きっと僕のラジオ愛はこれからも変わらない。
そんな事を考えていたら、昨日も朝の5時を迎えていた。
平日なのに。
まあ、親に怒られることが無くなっただけマシな筈だ。

 

 

ん?マシなのか?
急に不安が込み上げてきた。
ただ、こんなクソみたいな悩み相談は、あの大好きなパーソナリティー達には投稿出来そうもない。

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行きつけのバーが二軒あるのだが、その内の一軒でお世話になっていた店員さんが、来週居なくなってしまう。
故郷の北海道に帰るそうだ。

 

 

経緯の色々も知っているが、そこは割愛する。
何にせよ、親睦を深めた人が、近くから去っていく事実は非常に寂しい。
「年一で関東にも遊びに来るよ」と言ってはいたものの、普段の日常の中で会うことは、今後存在しないのだ。
「さよならだけが人生だ」
と、井伏鱒二が誰かの漢詩を意訳していたが、若僧の僕が悟るには、まだまだ生きてきた年数が足りないらしい。
そう言えば、その店員さんも僕のことを「クソガキだなあ」とよく言っていた。

 

 

そこで過去を振り返り、思い出を書き綴りたい……なんて考えたのだが、これと言った記憶が無い。
と言うのも忘れてしまった訳ではなく、ある意味で生活の一部と化していたからだろう。
時にはバーで音楽やアイドルについての話をしたり、時には居酒屋で酔っ払って叱られたり、時にはカラオケで朝方までケミストリーを歌ったり、他愛もない内容ばかりだ。
二人で朝方まで管を巻くことも多かったし、誕生日にはお祝いをしてくれたこともあった。
撃ち込まれた数多のテキーラショットは、ガンマンであれば百発百中と称されるほど、僕の肝臓に弾痕を残している。
やはりと言うか何と言うか、飲み屋の店員との絡みにアルコールは切っても切り離せないものなんだな、とクスクス笑ってしまった。

 

 

離れる直前に盃を交わせないことが心残りではあるが、北の大地でも懐古談を肴に楽しく飲んでいてほしいものである。
そうそう、先に書いた漢詩のタイトルが『勧酒』だったと言うことに、今更になって気付いた。
さすが、酒と相即不離なだけある。

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子ども

子どもが苦手だ。
苦手と言うのは、嫌いを濁したニュアンスではなく、対応が不得手と言う意味合いだ。
好きか嫌いかで言われれば、二つ返事で好きと答えられる。
あと、変態のそれではない。

 

 

正確には、敬語を使うべき相手のお子さんと触れ合えない。
何か失礼があると思うと尻込みしてしまい、子ども応対特有のなりふり構わぬ振る舞いが出来ないのだ。
それに加え、観月ありさよろしくトゥーシャイシャイボーイな僕は、周りからの目を恥じてしまう。
変顔なんて以ての外だ。
口元をぷくうと膨らませるぐらいが関の山である。
ちなみに言うと、この"やや変顔やってます感"が一番ダサいことも理解はしている。
理解はしているのにやってしまうのだから、より小っ恥ずかしい。

 

 

しかしながら、そんな気持ちもどこ吹く風で、子どもたちは無邪気に近付いてくる。
多分、僕の童顔な見た目にシンパシーを感じて、何となく好いてくれるのだろう。
理由はともあれ、顔を綻ばせながら寄ってくるその様子は、本当に可愛いらしい。
だからこそ、好意も無碍に出来ず、余計に困惑してしまう。
おいおい、親御さん(敬語対象)からせっかく貰ったチロルチョコを僕なんかにわざわざプレゼントしないでくれ!
気持ちは嬉しい!
嬉しいけど、「ありがとう」と言うべきか「ありがとうございます」と言うべきか悩みあぐねてしまう!
ガキンチョ諸君、このダサい大人をイジメないでくれ!

 

 

とは言え、それを口や態度に出すことはないため、先述した案件は変わらず起きてしまう。
先日も、僕が謙って対応すべき相手のお子さんが、こちらの足元に駆け寄り、よく分からないシールを差し出してきた。
当然、僕は相変わらずのアタフタを見せた。
「あれ?お礼は同じ目線に立つべきなのか?」
「シールが大切な物だったら返した方がいいよな?」
いつもであれば、デュフデュフしながら親御さんを見て、何とか解決へと持っていくのだが、その日は違った。
そんな逡巡している僕の様子を察してか、そのお子さんが一言添えてきたのだ。
「気遣わなくていいよ」
多分、親御さんから聞いて学んだ言葉をすぐ使いたくなったのだろう。

 

 

ただ、受け売りとは言え、その切り返しには驚かされた。
結局、おどおどしている大人よりも堂々としている子どもの方がよっぽど精神的に大人なのだ。
そう考えると、僕が彼ら彼女らに言うべき台詞は、敬語で間違い無いのかもしれない。
「ありがとうございます」だ。

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千%

僕ら世代のジャパニーズヒップホップフリークで、昨日発表されたKICK THE CAN CREW復活のニュースを耳にし、胸が高ぶらなかった人間はまず居ないだろう。
御多分に洩れず、僕もその一人だ。
新しく配信されたMVの所々で、昔の彼らの楽曲フレーズの引用が見えたり、ソロ活動時と比べて各自の特徴が顕著だったりする部分が、また目頭を熱くさせる。
解散や活動休止から十数年経て再開するバンドは数あれど、その両方のタイミングをファンで居られたグループは初めてかもしれない。

 

 

僕が彼らを初めて知ったキッカケは、『SMAP×SMAP』だったと思う。
番組最後のライブコーナー共演を見て、「あれ?この人たちってアンコ the KANCREWの元ネタなんじゃね……?」と気付かされたのが最初だ。
(アンコ the KANCREWとは、当時の小中学生から絶大な人気を博したバラエティ『学校へ行こう!』の1コーナー"B-RAP HIGH SCHOOL"内のパロディラップグループである)
そんな前情報もあり、僕にとってラップは笑いの対象と言うイメージだったのだが、スタジオ内で彼らが歌う様子によって、軽薄な勘違いがいとも容易く覆された。
それ以外でも『NHK紅白歌合戦』や『HEY! HEY! HEY!』を筆頭にTV番組で大手を振って活躍する様子は、頭の悪いボンクラ小学生に衝撃を与える十分な理由となった。
特に覚えているのが、浜崎あゆみ冠番組ayu ready?』だ。
そこにKICK THE CAN CREWがゲスト出演した時は、なぜかクイズをめちゃくちゃ出題される回だったのだが、我らがヒーローKREVAが正解をバンバン叩き出しており、子どもながらに「こいつ、すげー!」と身震いしたものだった。
HIPHOP特有の何となく悪そうな雰囲気だけでなく、そのスマート且つアカデミックな立ち振る舞いは、僕の記憶に深く刻み込まれることとなった。

 

 

と言っても、それはあくまで発端であり、曲も「なんか格好良いな〜」と聴いてはいたものの、どっぷりとハマった訳では無かった。
例えるなら、まだ膝まで浸かった程度である。
それが肩まで、いや、頭まで浸かるようになったのは、中学生の頃だった。
別のグループに魅了され、ラップと言うジャンルに傾倒し始めた僕は、改めてKICK THE CAN CREWを聴き直したのだ。
そこで、やっと気付く。
「この人たち、フレーズの語尾が似たような感じになってる……」
ライム(韻)を初めて意識した瞬間であった。
ayu ready?』で受けた印象は、間違っていなかったのだ!
身体中に電流の走った僕は、HIPHOPカルチャー直伝のディグ精神を遺憾なく発揮した。
クルーでの作品は勿論のこと、客演やソロ、プロデュース作品まで掘って掘って掘りまくった。
未だにKICK THE CAN CREW好きの知り合いの前では『よってこい feat. NG HEAD & RYO the SKYWALKER』の音源を所持していることを自慢してしまう。
バカだね。

 

 

そんなこんなで、KICK THE CAN CREWは僕が愛する音楽グループの1つとなったのであった。
勿論、ライム以外にもリリックのテーマや日本人らしいフロー、心地良いビートなどと魅力は多く存在する。
全て引っくるめてファンなのだ。
ああ!アルバム発売が待ち切れない!

 

 

ただ、同時に彼らが残した罪もある、八つ当たりではあるが。
僕は、KICK THE CAN CREWのファーストインパクトが忘れられなかったため、大学時代に髪を金色に染めていた。
何を隠そう初めて見た時のKREVAが金髪で、スーパー格好良かったのだ。
だが、そのダメージが残っているせいか、ただでさえ広い額が年を経るごとにもっと広くなってきている……気がする。
まだ26歳なのに。

 

 

将来的には、KREVAよりRHYMESTER宇多丸師匠の見た目となっているはずだ。
なぜか涙が止まりません。
未だ見えないあのユートピア

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ツイッター

ツイッターのツイートを全て消した。
後腐れはさらさら無く、いずれ削除するだろうな、とは常々考えていた。

 

 

確か大学2年生の頃から始めたサービスで、およそ7年も利用している事になる。
就活直前ぐらいは、もはや中毒とも言えるほど没頭しており、それは日常生活の垂れ流しと言わんばかりに言葉を吐露していた。
電脳世界でなくリアルでこれほど呟いている姿を想像すると、相当危ないヤツに見られることは間違いない。
無責任なディスやももクロの実況、男性器や女性器を扱った汚らしいギャグにドラッグネタ、数えればキリが無いゴミ発言をここぞとばかりに流布していたのだ。

 

 

そこまでハマっていた理由は、しょうもない承認欲求や自己顕示欲がマッチしていたから、であろう。
友達の少ない僕は、そこでの星の数やRTの数で誰かに認められている気がしていた。
また、音楽活動を積極的に行なっていたので、丹精込めた作品が、普通は知り合えないような有名な方に届いたり、まったく面識の無い方がファンになってくれるキッカケとなったり健全なSNSとして機能してくれたから、と言う部分もある。

 

 

しかしながら、その使う理由自体も年々影を潜めてきた。
むしろ、赤裸々な公開自体を恥ずべきものとするようになってきたのだ。
僕が残してきた轍を振り返ると、綺麗なタイヤ痕を付けているつもりが、見ようによっては汚い凹凸を残しているだけとも捉えられる。
後ろから同じ道を辿ろうとする人は、「すげえ!」と感じてくれる人だけでなく、「気持ちわりー!」と拒絶する人も居ることに気付いたのだ。
そんなもんよね。

 

 

だから、そんな過去と決別すべく全ツイート削除を実行した次第である。
実生活と同じく、呟きなんてものは残らないからこそ趣きを感じられる。
まあ、それをこのブログに書いているのだから、結局の所の本質は変わらないのだが。

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