期待はずれの人

昨日、諸事情で小学生のマラソン大会の手伝いをした。
僕は、セーフティーマンと呼ばれる役で、分かりやすく言えばコースに立って誘導をする係である。
「頑張れー」と、声を掛けながら白旗を振る僕。
かなり冷え込んだ天気の中、ブルブル震える大人と違って、短パン半袖で駆け回る少年少女には「さすが風の子だなあ」と尊敬にも似た眼差しを送ってしまった。
多分頑張った方がいいのは、仕事も辞めてプラプラしている僕の方だ。

 

 

しかしながら、一年生のレース中に事件は起きた。
僕が白旗を振っていると、コースから離脱した一人の男の子が泣きながら僕に抱き付いて来たのだ。
「胸が苦しい……。もう走れない……」
息を切らせながら泣く男の子には、筆舌に尽くしがたい切なさを感じた。
何故なら、その大会は有志の参加者を募る大会だからである。
きっと親御さんに無理やり応募させられたのだろう。
僕も運動が苦手で、今でこそ「太ってきたなあ」と感じたらジョギングをするが、走りたくない気持ちは、死ぬほど分かる。
「大丈夫?もう走るのやめる?」
そう聞くと、その子は首をすぐ縦に振り、リタイアを決めた。

 

 

脈が早くなっている時に急停止させると心臓に悪いと思い、ゆっくり歩きながら大会本部に向かう僕と少年。
涙をせき止めながら感情を吐露する彼は、気温による生理現象とは別の震えを見せていた。

 

 

大会本部に着き、親御さんを待っているとヒゲを蓄えた恰幅の良い男性が現れた。
その人が少年のお父さんと気付くまでに、些か時間を要したのは言うまでもない。
ポケットモンスター ルビー・サファイア』のゴニョニョからバクオングへの進化ぐらいシルエットに違いがある。
ただ、その人は見た目とは裏腹に、優しい声で少年に話し掛けた。
「お疲れさん。頑張ったなら、それでいいじゃないか」
やはり親と子の絆は強い。
僕はホロッと来つつ、少年に目をやった。

 

 

「お父さん、ごめんなさいいいいいいい!!!!!!」

 

 

優しさが全然伝わってない!
おそらく幼少期特有の親への申し訳無さだろう。
大人からするとそうでもない事が、子ども達は健気な罪悪感に苛まれたりする。

 

 

少年は、そのままコースに戻り、ゴールゲートを潜って逃げ去って行った。
いや、お前、そんなに速く走れるんかい!
横に居たお父さんは、溜め息をついていた。
そりゃ期待して応募もするわな、うん。

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ホット

家に向かう帰り道、空腹だった僕は『蒙古タンメン中本(チーズ増量)』を買った。
たまに無性に食べたくなる。

 

 

しかしながら、問題がある。
僕は、辛い物が駄目なのだ。
それもあって、"チーズ増量" を選択したのである。

 

 

帰宅し、ポットで沸かせたお湯を注ぐ。
5分が待ち遠しい。

待ち切れない僕は、4分50秒ぐらいで蓋を開けた。

 

 

うん!

 

 

この匂い!

 

 

この味!

 

 

辛い!

 

 

食えない!

 

 

思い出してみると、先述した"たまに無性に食べたくなる"メニューは、店舗の『蒙古タンメン中本』で一番辛くない野菜ラーメンの事であった。
しかも、それすら手に汗握るギリギリの攻防戦の末で、腹に納めている。

 

 


「馬鹿をやってしまった……」
ただ、買って来たからには仕方ない。
今回の試合が負け戦と分かっていながらも、箸を進める。
予想通り、悪い汗が額にプツプツと浮かび、コメカミを伝う。
手も震えてきた。
「もう無理だ!」
"チーズ増量"の甘えも虚しく、大変申し訳無い事に、僕は八割ぐらいの麺とスープを便所に流したのであった。
ごめんなさい。

 

 

それに加え、辛い物を食べるとお腹も下してしまう体質なので、結局残りの二割ぐらいも便所に流した事になる。
本当にごめんなさい。

 

 

要約すると、僕は便所に200円ちょいぐらい費やした事になる。
ブルジョワジー
左うちわ。

 

 

と言う話を、たまたま電話を掛けてきた友達にしたら、
「は?まじどうでもいいんだけど?」
と、普通に叱責された。

 

 

お前まで辛口にならなくていいだろ!
もー!

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シュレディンガーのゴキブリ

シュレディンガーの猫」と言う言葉がある。
中二病だったり、利口ぶりたい人が、たまに使う表現だ。
その「シュレディンガーの猫」の内容は、頭の悪い僕は単純解釈として、パラレルワールドの存在と置き換えている。
要は、「箱の中に居る猫は、実際に目で見なければ、生きてるとも言えないし、死んでるとも言えないよ」なんて捉え方だ。
ちゃんと理解してる人、もし間違ってたらすみません。

 

 

で、その「シュレディンガーの猫」だが、僕にとってのそれは "ゴキブリホイホイ" なのだ。
僕含めゴキブリが苦手な人は、かなり多いと思う。
もし、苦手でない人が居たとしても、好きだと言う人はそうそう居ないだろう。
みんな、出来る事なら居ない方が嬉しいはずだ。
そこで、一般家庭で駆除のために使われるのが "ゴキブリホイホイ" である。

 

 

しかしながら、"ゴキブリホイホイ" には問題がある。
"ゴキブリホイホイ" を使うと、ゴキブリが家に居る事実が明らかになってしまうのだ。
"ゴキブリホイホイ" を使わなければ、ゴキブリが家に居る可能性と居ない可能性は半々なのに、使用してヤツらが捕らえられたとすれば、それは存在を証明する事となってしまう。

 

 

「じゃあ "コンバット" にすればいいじゃん」と言う意見もわかる。
しかしながら、"コンバット" を置く=ゴキブリが居る事を前提として暮らす事になる。
先ほど、居るか居ないかの可能性が半々と明記したが、そこは僕も人間なので、居ない方に賭けたい。
そちらにゴキブリペリカを全額ベットしたい。
"コンバット" を置くと言う事は、その願いも否定する事になる。
だって、ゴキブリが "コンバット" でゴソゴソして、巣に運んで、やっと殲滅させられるって事だもんね。
クソが。

 

 

上記の理由で、僕は「シュレディンガーの猫」的な観点から、"ゴキブリホイホイ" や "コンバット" を使いたくない。
自宅で目の前に現れたゴキブリを見て、ふとそう思った。

音信不通

先週ぐらいに、信用していた奴からバックレられた。
「将来、共に成功するために、パートナーになろう」と言う話だったのだが、まだスタートし出したばかりの段階で、この始末だ。
僕は、仕事を辞める事も決まっていて、そいつと同居する予定だったので、非常に困った。
と言うか、現在も困っている。
もしかしたら、実家に帰省する羽目になってしまうかもしれない。
そうなったら嫌だな。

 

 

とりあえず、そのバックレの事実が判明してから、非生産的とは分かっていながらも、どうボコってやろうかだけを考えている。
僕は、喧嘩が強く無いのだが、そいつには腕相撲でも勝っているし、ウェイトも上なので、殴り合いになっても多分勝てるはずだ。
ズルい手を使って、交友関係に手を広げても、おそらく勝てる。
それに、そいつは頭が悪いので、知略でも口喧嘩でも勝てる。
トリッキーな試合運びで、ウンコ早食い合戦になっても、きっと勝てる。
勿論、食った事は無いが、この恨みのパワーなら、絶対に食い切れるであろう。
食い切った後に、そいつにゲボを吐きかけて、何やかんやで『ろくでなしBLUES』の葛西のようにアバラ骨を折ってやる。
ド畜生が!

 

 

しかしながら、そいつの事を完璧に信用はしていなかった。
理由は、普段の立ち回りの姿勢に、卑怯の片鱗が出ていたからだ。
トラブルがあれば、人を盾に使っていたし、それも出来ないようであれば、全て投げ出して逃走するようなタイプだった。
同じ職場の人も異口同音にそう評価しているし、チンケな部分については間違い無いのだろう。
きっと、奴の腐り切った根性は、この先も治らないのだ。

 

 

では、何故そんな奴と手を組もうとしたのか、と問われると悩んでしまう。
何でだろう。
しいて言うなら、僕はバカなので、奴が言った「信頼している」の一言を鵜呑みにしてしまったから、かもしれない。
念には念をと思い、覚悟について再三の確認をしたつもりではあったが、結局のところ不用心だった訳だ。
君子危うきに近寄らず。
危うきに近寄る僕は、君子では無いのだろう。

 

 

過去を振り返れば、何度かパートナーと呼べる人とは出会って来たが、仲間にしても、恋人にしても、バックレと言う事象は経験した事が無かった。
全員、最終的には話し合ったり、伝えた上で、終着点を迎えていた。
当時は腹を立てたりもしたが、今回のような件を考えると、案外みんな良い人たちだったかもしれない。

 

 

さてさて、ここまで恨み辛みを綴ったが、何を言っても、人生はまだ続く。
記したような文句は、もしも再会する事があった際、ブン殴って、吐き捨ててやればいい。
それよりも、これからの事を考えて、実りある準備をしよう。
まずは、ウンコ早食い合戦のウォーミングアップだ。

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ラジオ

昨日深夜、TBSのラジオ番組『おぎやはぎのメガネびいき』内で、生まれて初めて投稿メールを読まれた。
先週から送り出したビギナーとは言え、やはり嬉しいものは嬉しい。

 

 

大学生の頃、帰省したタイミングでたまたま放送されていたNHK『着信御礼!ケータイ大喜利』に、気まぐれで送った回答が採用された事もあったが、ことラジオ番組に関しては、僕がヘビーリスナーなだけあって、声を上げて喜んでしまった。
こんな感動を味わえるなら、もっと早くから投稿しておけば良かった。
善は急げ、だ。

 

 

遡れば、ラジオを聴くようになったのは中学生の頃で、そこから数えると10年以上聴いている事になる。
初めて自発的に聴いたラジオは、正直あまり覚えていない。
確かm-floがパーソナリティーの番組に、HI-DとTWIGYがゲストとして参加した回だった気がする。
そこから、アーティストがメインの番組を聴き出し、『SCHOOL OF LOCK!』『やまだひさしのラジアンリミテッドDX』を経由して、伝説の深夜番組『WANTED!』でダダハマりするようになった。
帯番組である『WANTED!』は、僕の一番好きなアーティストのRHYMESTERが月曜パーソナリティーで、僕の一番好きなお笑いコンビのバナナマンが火曜パーソナリティーと言う最高な構成だった。
しかしながら、この番組が放送される時間は、深夜3時から朝方5時の2時間であったため、当時高校生に上がった僕は、言わずもがな地獄のスケジュールを強いられる羽目になる。
学校から帰って睡眠を取った後に起床、ラジオを聴きながら宿題を済ませて、朝方に再度就寝。
当然、次の日は寝ぼけ眼を擦りながら登校するため、授業中はしょっちゅう夢の中に居た。
そのせいで内申点はウンコみたいに悪く、親から叱られるのが日常茶飯事だった。

 

 

だが、そんな大好物コンテンツも終わりを告げる時が来る。
僕が高校三年生に上がるタイミングで、『WANTED!』は最終回を迎えた。
そして、RHYMESTERバナナマンも喋りの現場を、FMラジオからAMラジオに移したのだ。
それは、とてつもなく衝撃的な出来事だった。
なぜなら、僕の故郷であるド田舎だとAMラジオの電波がこの上なく悪いため、敬愛するパーソナリティーたちの声が届かないからだ。
ちくしょう!
僕は、そんな恵まれざる環境に臍を噛みながら受験勉強し、東京の滑り止め大学にめでたく(?)進学をする事となった。

 

 

上京し、一人暮らしを始めた僕は、そこまでのラジオ欲を発散するかのごとく、ウキウキしながらラジオをつけた。
しかし、そこで気付く。
「あれ?この部屋も聴けねーじゃん!」
そうなのだ。
借りたアパートの一室も、電波がグシャグシャのクソ環境で、AMラジオが聴けなかったのだ。
なので、まだradicoも導入されていないその時期は、涙をせき止めながら、もっぱらPodcastを聴いていた。

 

 

勿論、radico導入後から今現在までは、中学高校の頃と同様に、毎週ラジオを楽しみに聴いている一人のリスナーに戻る。
ラジオの良い所は、炊事洗濯掃除などと言った家事をやりながらも、聴ける所だ。
そう考えると、今の独身の生活環境にとても合っているのだろう。

 

 

きっと僕のラジオ愛はこれからも変わらない。
そんな事を考えていたら、昨日も朝の5時を迎えていた。
平日なのに。
まあ、親に怒られることが無くなっただけマシな筈だ。

 

 

ん?マシなのか?
急に不安が込み上げてきた。
ただ、こんなクソみたいな悩み相談は、あの大好きなパーソナリティー達には投稿出来そうもない。

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行きつけのバーが二軒あるのだが、その内の一軒でお世話になっていた店員さんが、来週居なくなってしまう。
故郷の北海道に帰るそうだ。

 

 

経緯の色々も知っているが、そこは割愛する。
何にせよ、親睦を深めた人が、近くから去っていく事実は非常に寂しい。
「年一で関東にも遊びに来るよ」と言ってはいたものの、普段の日常の中で会うことは、今後存在しないのだ。
「さよならだけが人生だ」
と、井伏鱒二が誰かの漢詩を意訳していたが、若僧の僕が悟るには、まだまだ生きてきた年数が足りないらしい。
そう言えば、その店員さんも僕のことを「クソガキだなあ」とよく言っていた。

 

 

そこで過去を振り返り、思い出を書き綴りたい……なんて考えたのだが、これと言った記憶が無い。
と言うのも忘れてしまった訳ではなく、ある意味で生活の一部と化していたからだろう。
時にはバーで音楽やアイドルについての話をしたり、時には居酒屋で酔っ払って叱られたり、時にはカラオケで朝方までケミストリーを歌ったり、他愛もない内容ばかりだ。
二人で朝方まで管を巻くことも多かったし、誕生日にはお祝いをしてくれたこともあった。
撃ち込まれた数多のテキーラショットは、ガンマンであれば百発百中と称されるほど、僕の肝臓に弾痕を残している。
やはりと言うか何と言うか、飲み屋の店員との絡みにアルコールは切っても切り離せないものなんだな、とクスクス笑ってしまった。

 

 

離れる直前に盃を交わせないことが心残りではあるが、北の大地でも懐古談を肴に楽しく飲んでいてほしいものである。
そうそう、先に書いた漢詩のタイトルが『勧酒』だったと言うことに、今更になって気付いた。
さすが、酒と相即不離なだけある。

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子ども

子どもが苦手だ。
苦手と言うのは、嫌いを濁したニュアンスではなく、対応が不得手と言う意味合いだ。
好きか嫌いかで言われれば、二つ返事で好きと答えられる。
あと、変態のそれではない。

 

 

正確には、敬語を使うべき相手のお子さんと触れ合えない。
何か失礼があると思うと尻込みしてしまい、子ども応対特有のなりふり構わぬ振る舞いが出来ないのだ。
それに加え、観月ありさよろしくトゥーシャイシャイボーイな僕は、周りからの目を恥じてしまう。
変顔なんて以ての外だ。
口元をぷくうと膨らませるぐらいが関の山である。
ちなみに言うと、この"やや変顔やってます感"が一番ダサいことも理解はしている。
理解はしているのにやってしまうのだから、より小っ恥ずかしい。

 

 

しかしながら、そんな気持ちもどこ吹く風で、子どもたちは無邪気に近付いてくる。
多分、僕の童顔な見た目にシンパシーを感じて、何となく好いてくれるのだろう。
理由はともあれ、顔を綻ばせながら寄ってくるその様子は、本当に可愛いらしい。
だからこそ、好意も無碍に出来ず、余計に困惑してしまう。
おいおい、親御さん(敬語対象)からせっかく貰ったチロルチョコを僕なんかにわざわざプレゼントしないでくれ!
気持ちは嬉しい!
嬉しいけど、「ありがとう」と言うべきか「ありがとうございます」と言うべきか悩みあぐねてしまう!
ガキンチョ諸君、このダサい大人をイジメないでくれ!

 

 

とは言え、それを口や態度に出すことはないため、先述した案件は変わらず起きてしまう。
先日も、僕が謙って対応すべき相手のお子さんが、こちらの足元に駆け寄り、よく分からないシールを差し出してきた。
当然、僕は相変わらずのアタフタを見せた。
「あれ?お礼は同じ目線に立つべきなのか?」
「シールが大切な物だったら返した方がいいよな?」
いつもであれば、デュフデュフしながら親御さんを見て、何とか解決へと持っていくのだが、その日は違った。
そんな逡巡している僕の様子を察してか、そのお子さんが一言添えてきたのだ。
「気遣わなくていいよ」
多分、親御さんから聞いて学んだ言葉をすぐ使いたくなったのだろう。

 

 

ただ、受け売りとは言え、その切り返しには驚かされた。
結局、おどおどしている大人よりも堂々としている子どもの方がよっぽど精神的に大人なのだ。
そう考えると、僕が彼ら彼女らに言うべき台詞は、敬語で間違い無いのかもしれない。
「ありがとうございます」だ。

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